第346回 日曜地学ハイキング記録
日曜地学ハイキング記録
案内パンフの表紙を使用しています



第346回日曜地学ハイキングを2001年3月18日に実施しました。

3月18日  JR武蔵野線東所沢駅 午前10時集合
        解散は同駅 午後4時ころ
見どころ:@関東ローム層とそのカギ層
      A台地の地形・河岸段丘
      B湧水と地下水
      C柳瀬川の河つくり
コース: 東所沢駅→所沢台住宅地→東福寺→清瀬金山緑地公園→和田の崖→下安松の崖→東所沢駅
主 催:地学団体研究会埼玉支部、日曜地学の会
案 内:正田浩司(新座北高校)駒井潔(大井高校)
地形図 国土地理院 1/25,000「所沢」
持ち物:弁当、水筒、移植ごて、筆記用具、ルーペ、新聞紙
参加費:100円(保険代・資料代)
 ルートと観察ポイント


@所沢台の上から柳瀬川の谷を眺める

東所沢駅から南に進むと、とつぜん崖の上に立ち、眼前に大パノラマが展開しました。眼下には柳瀬川が崖を穿つように流れていました。地図から標高差をはかると、この崖は20mほどの高さのようです。大パノラマは、そこが柳瀬川の作った大きな谷であることを示していました。我々が立つ崖の上が武蔵野台地と呼ばれる所でした。
武蔵野台地はもとは多摩川の扇状地で、扇状地の礫層の上にローム層が厚くたまっているところで、この崖は河岸段丘を示しているという説明です。
奥多摩の山地から削りだしてきた砂や礫が、多摩川に運ばれ、平坦な青梅にでるとその砂や礫が川原に堆積し、扇状地の地形を作り出したそうです。地球が暖かくなったり寒くなったりし、海面が進んだり退いたりを続ける中で、河岸段丘が幾重にも形成されたということです。
段丘の上には火山灰や軽石が降り注ぎローム(主に風化した火山灰といわれています)や軽石層が堆積したそうです。早い時期に川原から分離した高い位置にある段丘面には、より古い時代からロームの堆積が安定してできるようになり、より厚いローム層が段丘礫層の上にたまっているということです。
武蔵野台地は、古い方から、下末吉面、武蔵野面、立川面、・・と名前が付いているということで、これらの段丘面に対応して、ロームにも下末吉ローム、武蔵野ローム、立川ロームという名前が付いているそうです。
この崖の上の面には所沢台という名が付けられており、下末吉面に相当するそうです。台地の上には畑が拡がっており、その畑の面にはわずかな起伏があり波打っているように見えました。
これらのローム層の堆積した時代は、下末吉ローム層で13−6万年前、武蔵野ローム層で6−3万年前、立川ローム層で3−1万年前との説明です。

武蔵野台地が作られた第四紀という時代は、氷河期が操り返し訪れた時代で、氷河期には陸上に氷河が発達し、侵食基準面である海面が低下します。すると河川の侵食力が増し、土地を下へ下へと削っていきます(下方侵食)。温暖期には陸上の氷河がとけて海に流れ込み海面は上昇します。海底には土砂が堆積し、陸上でも川は蛇行しながら谷の両側を侵食(側方侵食)して平坦な地形ができます。この繰り返しで武蔵野台地の河岸段丘ができたということです。つまり、この地形の中に地球規模で生じた気候変動のようすが記録されていることになります。







武蔵野台地の地形と地質、地下水、先史遺跡等の参考図


A東福寺の崖で関東ローム層を観察する


崖の縁に沿うように東北に進むと東福寺へ下る道があります。その道の両脇に崖を構成する地層が顔を出しています。表土(黒土)の下にローム層がありました。
これは富士山や箱根の火山活動によって、もたらされたもので火山灰の中には溶岩のちぎれた岩片、ガラス、鉱物が含まれているそうです。見た目には白、黒、茶色っぽい土だが、風化して一部が粘土に変化したためで、この粘土分を水で洗い流してしまうと、中からきれいな鉱物の結晶やガラスがでてくるとの説明でした。
下末吉ロームにはPm−1(御岳第一軽石層:約8万年前)、武蔵野ロームにはTP(東京軽石層:約5万年前=箱根起源)と呼ばれる降下軽石層が見られるが、それらは含まれる鉱物の種類でほぼ特定できるということです。
下末吉と武蔵野ロームは、構成粒子を調べると古箱根火山から来たものが多く、立川ロームは富士山からの供給が多いことがわかるそうです。
  東福寺の境内にはローム層の下に、多摩川の扇状地堆積物である所沢礫層が露出していました。
所沢礫層の下部には、海進で海底になったときに堆積した東京層という泥の層があり、地下水を通さないため、所沢礫層の中を流れているそうです。崖の縁ではこの礫層から地下水が湧水となって湧き出していたそうです。東福寺の裏手や崖沿いの農家の裏手には湧水による小さな池がありました。

武蔵野台地の地形と地質、地下水、先史遺跡等の参考図






















B金山緑地公園で柳瀬川改修を観察


東福寺から柳瀬川に向かいました。柳瀬川は,埼玉県西南部の狭山丘陵に源を発し,所沢市内を貫流,新座市の北の外れを流れて志木市で新河岸川に合流する河川です。荒川水系新河岸川の一次支川と位置づけられ、全長は19.6km、流域面積は106.3km2となっており、新河岸川の支川流域で最も大きい川です。以前はうねうねと蛇行したそうですが、河川改修によりほとんどまっすぐな川となっていました。清瀬という地名は、清戸村と柳瀬川の地名からつけられたそうです。
新河岸川が沖積平野の泥底の緩やかな流れであるのに対し、柳瀬川は武蔵野台地を削りながら流れており、川床は砂利または砂になっているそうです。柳瀬川は、以前はたびたび氾濫して合流点付近に水害をもたらしたそうですが、河川改修によって(現在も続けられていました)治まってきたそうです。そのため、両岸がブロックで覆われたりコンクリートで固められていました。
都市近郊の河川の例にもれず、この柳瀬川も異臭を放っていた時期があったそうですが、下水道の普及もあって水の色はだいぶ改善されているようです。泳いでいる鯉を見て水がきれいだと言えるのは鯉が汚染に強い魚だということを知らないためだそうです。以前に比べれば多少水質はよくなっているということで、水が澄んでいるときには群れをなすウグイやボラの子が見え、それを捕食する鳥もやって来るそうです。


C和田の崖で段丘崖の地層を観察

公園で昼食を摂った後、上流の和田の集落の所の崖の地層を観察に行きました。お墓の脇から左に入っていく細い道に粘土層がありました。雨の後などは地下水の染み出しが見られるそうです。粘土層は東京層で不透水層になっているため、上部の礫層から地下水が湧き出すそうです。
東京層は今から約12万年前、リス・ウルム間氷期に広がった古東京湾の海底に堆積した地層だということです。その古東京湾が離水する頃、所沢レキ層が多摩川の氾濫原として堆積したそうです。このとき出来た地形面が所沢面(下末吉面)ということです。その上に火山灰が空から降ってきて積もったものが関東ローム層だということです。。
関東ロームが赤土なのは、火山灰が降って何万年も経つ間に地下水が染み込んで、鉱物が変質し粘土化し、含まれていた鉄分が酸化して赤くなったことによるそうです。口ーム層中の砂粒を洗い流し出すときれいな鉱物の結晶が観賞できるそうです。
東京軽石(T.P.)は、今から約5万年前に箱根火山が大噴火したときにこの付近まで飛んできた軽石層で、斜方輝石と普通輝石が多く含まれるのが特徴だそうです。三色アイス軽石(SIP)、クリヨウカン軽石(KuP)も箱根火山に由来すると考えられているそうです。御岳第一軽石層(Pm‐1)は約8万年前に木曽の御岳山から飛んできたものということです。









D下安松の崖でローム層を観察

上流方向に移動し、下安松の民家後の裏の崖でローム層を観察しました。

関東ローム層の模式図は下記を見てください。

武蔵野台地の地形と地質、地下水、先史遺跡等の参考図



























多摩川の段丘模式図


段丘断面模式図


武蔵野台地の地形面区分


武蔵野台地の縦断図


武蔵野台地の形成とはんらん原


武蔵野台地の先史時代の遺跡


関東ローム層のカギ層と年代


武蔵野台地における地質層序


武蔵野台地の高度分布と復元


武蔵野台地の地下水面


柳瀬川の流域界


柳瀬川の地質断面

(社団法人東京都地質調査業協会 より引用)

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