第320回 日曜地学ハイキング記録

日曜地学ハイキング記録

五日市の鍾乳洞と石灰岩

―――あきる野市五日市大岳鍾乳洞をたずねる―――

第320回日曜地学ハイキングを平成10年7月12日に実施しました。

中古生界の地質や鍾乳洞を観察の予定です。


JR五日市線 五日市駅 改札前 午前9時20分集合
                西東京バス;貸切に乗車、上養沢下車

今回の見学コースの概要
@ 大岳鍾乳洞
A 付近の地質と大滝
大岳鍾乳洞には多くの人数が入れないため、2班に分かれ、見学コースを逆にしました。


日 程;午前10時過ぎに上養沢に到着、そこから大岳鍾乳洞まで、途中の地質や
     地形を観察しながら移動
     大岳鍾乳洞に到着し、2班に編成。
     1班;大岳鍾乳洞見学 11:00〜11:40 大滝と付近の観察 12:00〜13:00
       (大滝にて昼食)
     2班:大滝と付近の観察 11:10〜12:10 大岳鍾乳洞見学 12:40〜13:20
       (大岳鍾乳洞前にて昼食)
     午後1時過ぎより雨、貸切バスの待つ上養沢に移動
       2班は鍾乳洞から出ると大雨、ずぶぬれで移動
持ち物;弁当、雨具、ハンマー、筆記用具
参加費;1200円(保険代、資料代+貸切バス代)
案 内;伊藤田 直司氏

観察ポイントの説明
知りたい観察ポイントをクリックしてください。


1.鍾乳洞についての雑学

2.五日市の洞くつ

3.大岳鍾乳洞

4.フズリナの栄えた海

5.大滝周辺の地質


   

鍾乳洞についての雑学

鍾乳洞についての俗説を検証してみましょう。

鍾乳洞の中は涼しいか?
鍾乳洞内の気温は年間を通してほぼ一定です。その温度はその土地の年平均気温と同じです。このため、温帯の地域では、夏涼しく、冬暖かく感じます。しかし、沖縄などでは夏の洞内気温は20度以上あるところもあり涼しさを感ぜず、汗ばむこともあります。沖縄最大の観光洞である玉泉洞の中には、エアコンが設置され、洞内の気温を冷やしています。もっとも外はそれ以上に暑いのですが。

鍾乳洞には数億年前の世界が広がっている?
数億年前というのは、石灰岩ができた年代で、鍾乳洞ができた年代ではありません。日本の鍾乳洞は、古くても数十万年前です。したがって、生きた化石がいても、それは、数万年前から数十万年前ということになります。

鍾乳石が1cm伸びるのには数○年かかる?
一つは、細い鍾乳石と太い鍾乳石では伸びる早さが違います。細いものほど伸びるのは早くなります。二つ目は、降水量や気温などの違いです。多雨地域では石灰岩の溶食量が大きくなり早く伸びます。また、空隙(すきま)の多い石灰岩も溶けやすく早く伸びます。

鍾乳洞の水はきれい?
生水としてそのまま飲めるとはかぎりません。「きれい」は見た目であって、「安全」を意味しません。日本では、そのまま飲めるのは、龍泉洞(岩手県)の水くらいです。

鍾乳洞に棲息する生物は退化した?
鍾乳洞の動物には、目がないものや体色がないものがいます。これは暗やみでは必要がないからで、決して退化したわけではありません。目がないかわりに触覚器官はきわめて発達しています。これを適応といいます。

鍾乳洞の「鍾」は何? 「鐘」ではないの
「鐘」はつりがね、「鍾」は乳を鍾(あつ)めるという意味です。乳は白い水でカルシウムを意味します。

 
   

五日市の洞くつ

五日市盆地のまわりの山々には、いくつも洞くつがあります。その多くは石灰岩の中にできたもので、大岳鍾乳洞の他に三ツ合鍾乳洞、養沢鍾乳洞などがあります。網代にある洞くつはチャートと呼ばれるかたい岩石の中にできています。これは浸食に弱い岩石に対しまわりの浸食につよいチャートだけが残ったものと考えられています。岩石の浸食の違いでできたものには、波の作用によってできた海食洞があります。また、溶岩洞のように溶岩が流れた時に作られた洞くつもあります。
石灰岩は石灰質の殻や骨をもった海の生物の遺骸が海底に堆積してつくられたもので、炭酸カルシウムが主成分です。この炭酸カルシウムは酸を含んだ水に溶けやすいという性質があります。このため可溶性岩石といい、化学的風化に弱いと表現します。(浸食に弱い岩石は物理的風化に弱いといいます。) 雨水は酸を含んでいます。石灰岩の台地や山に降った雨は、石灰岩の割れ目にしみ込み、同時に割れ目を溶かし、拡大していきます。このため地上ではドリーネと呼ばれるくぼ地ができ、地下水となった雨水は地下水層に空洞を形成していきます。鍾乳洞の誕生です。そして、地下の水路を地下水が自由に流れるようになると、地下の空洞は拡げられていきます。
一方、地下では、地下水に溶かされた炭酸カルシウムが沈殿し、結晶することがあります。これが鍾乳石と呼ばれるものです。。

 
   

大岳鍾乳洞

大岳鍾乳洞は標高1267mの大岳山の東麓の標高 462mに開口しています。総延長は1002m、高低差は48mで、長さからみれば決して小さくない鍾乳洞ですが、観光できる部分はその半分です。周囲の地形(河岸段丘との対比)から、今から10万年前頃にできたと考えられています。大岳鍾乳洞を形成する石灰岩は、古生代石炭紀・二畳紀という、今から2〜3億年前の海底に堆積した地層です。

今回の観察ポイント

@入り口〜「夢の天国」
・大岳鍾乳洞の構造が割れ目系に支配されている様子がわかった。
・規模は小さいが、多様な鍾乳石がみられた。
 フローストーン、リムストーン、プール、ペンダント
・差別浸食がみられた。
 差別浸食とは、石灰岩中に挟まれた他の岩石が溶食されずに残っていること
A「夢の天国」〜「大煙突」
・通路の壁にノッチと呼ばれる地下水流による溶食のあとがみられた。
 溶食の面にフズリナの化石がみられた。
 フズリナは今から2〜3億年前に世界中で栄えた小さな単細胞動物です
・粘土や礫の堆積がみられた
 差別浸食等で残った他の岩石が崩壊し堆積している
  右の写真は差別浸食で残った層状チャート
B「大煙突」〜出口
・下層から地下水の流出がみられた。
 
   

フズリナの栄えた海

大岳鍾乳洞を形成する石灰岩と同じ時代の石灰岩が、奥多摩・奥秩父の山地をはじめ、日本列島のいたるところに点々とみられます。石灰岩の表面をよく探すと、指紋のような形をした化石が見つかります。フズリナの化石(右の写真)です。この化石は、古生代石炭紀〜二畳紀の示準化石です。フズリナの栄えたころ、世界各地の浅い海には珊瑚礁が広がり、ウミユリなどもすんでいました。中国から地中海までつづく、広く浅い海が広がっていたと考えられています。このような海の底では、海底火山が活動したり、海底地すべりがおきていたようです。その後、浅い海は少しずつゆっくりと1億年以上も沈みつづけ、海底にはとても厚い地層がたまりました。五日市の南沢付近には、大岳鍾乳洞を形成する石灰岩より後にできた石灰岩がみられます。今から1億8千万年前の中生代ジュラ紀とよばれる時代に広がっていた珊瑚礁がそのもととなっています。ジュラ紀の「ジュラ」は映画ジョラシックパークのジュラと同じです。そう恐竜の時代です。
古生代から中生代の関東山地の地層を秩父中古生層と呼んでいる。古生代石炭紀〜二畳紀の石灰岩をはじめとしてチャートや塩基性火山岩、砂岩などは、すべて異地性(その場で堆積したものではなく、他の場所で堆積したものが移動しその場に付加したことをいう)の岩塊で、幅500m、長さ3kmにも及び北西から南東方向に列をなしている。石灰岩を主体とするこれらの地層が、急崖あるいは断層・褶曲などにより、堆積しその後(1億年以上経過して?)固結した後に(海溝に向かって発生した海底地滑りにより?)崩壊した。石灰岩がそのような崩壊を誘発したというように考えられている。
 
   

大滝周辺の地質

大岳鍾乳洞のある大岳沢沿いには、秩父帯のチャートや塩基性火山岩などの露頭が見られます。これらはすべて異地性の岩塊で幅500m、長さ3kmにも及ぶものがあるそうです。大岳沢の上流に大滝があります。大岳沢の北東に大岳沢と平行に養沢川があり、この養沢川に沿って北西ー南東方向に棚沢ー星竹断層が走っている。この付近の地質はこの断層を含め北西ー南東方向の断層によって笹葉状に切られて、異地性の岩塊が分布しているそうである。これら異地性の岩塊は付加体と呼ばれています。
 以前、秩父帯は主に紡錘虫化石に基づく研究から古生代の地層と考えられていました。1970年代になり、それまで化石に乏しいとされてきたチャート・珪質頁岩からコノドント化石が多数見つかるようになり、さらに1980年代以降、泥質岩や珪質岩など広く分布する岩石から放散虫化石が見つかるようになりました。これらの化石から秩父帯は中生代三畳紀から白亜紀にわたり、とくにジュラ紀が広く分布していることがわかりました。
 チャートをつくる放散虫という生物は、海のプランクトンです。放散虫が死ぬと殻だけを残し、マリンスノーとして海底に積もります。したがってチャートは陸地から運ばれてくる泥や砂粒がとどかない、陸地から離れた大洋の海底でつくられたと考えられています。
 一方、塩基性火山岩は海底火山の噴出物でつくられています。なかでも、溶岩が海中に噴出してできる枕状溶岩がその代表的なものです。高温で粘性の低い溶岩が海底で噴出すると、丸い形や楕円形をした岩塊の集合体ができます。その外観があたかも枕を積み重ねたように見えることから、そう呼ばれています。
 石灰岩は、上述の「フズリナの栄えた海」に記したように、珊瑚礁などによりつくられたものです。このように、チャートや塩基性火山岩、石灰岩はいずれも大洋底で、つくられたと考えられます。
 このように、古生代石炭紀から二畳紀の石灰岩やチャートの異地性の岩塊は、陸地から遠い海底で堆積したものです。海底の移動とともに海溝近くに達し、海底地滑りにより海溝に堆積・付加し(その時期が中生代と考えられる)、海溝堆積物とともに構造運動により隆起し陸地になったと考えられます。