第323回 日曜地学ハイキング記録

日曜地学ハイキング記録

毛呂山丘陵で関東平野の成り立ちを探る


第323回日曜地学ハイキングを平成10年11月22日に実施しました。
関東平野の地図を広げてみると、平野の西側に関東山地から突きだしたように、多摩丘陵、加住丘陵、加治丘陵、狭山丘陵などいくつかの丘陵があります。各丘陵は関東平野の土台となっている地層からできています。アケボノゾウの体化石や足跡化石がこれらの地層から発見されています。毛呂山丘陵もそのような丘陵の一つです。関東山地と接するこの地域で平野の土台の地層と山地の地層を観察して、関東平野のでき方や当時の様子を考えてみました。


  八高線 高麗川駅 改札前 午前9時30分 集合
              解散 同駅 午後4時頃

コース;高麗川駅→高麗神社→宿谷川(大露頭)→休耕田→宿谷川(枝沢)→高麗川駅 

持ち物;弁当、筆記用具、雨具、草かきガマ、ハンマー、軍手、新聞紙、ビニール袋、長ぐつ

参加費;100円

案 内;関東平野西縁丘陵団体研究グループ(代表;飯能高校_倉川 博)



 関東平野西縁(せいえん=西のふち)の地形と地質 

J 山地と平野の境界にある丘陵 

 関東平野の西縁は、西方の関東(秩父)山地と明瞭な地形的な境界をなしています。その位置は、埼玉県内では寄居〜越生〜飯能をむすんだ線になります。もうすこし眼を広げてみると、関東山地と関東平野の地形的な境は、群馬県高崎市藤岡町を通り、県内を南北に縦断し、東京都青梅市からハ王子市にかけての線上にあります。この地形的境界は古くから地質研究者に注目され、関東大地震(1923年=大正 12 年)を契機とする広域的な地質学的研究から、矢部・青木(1926)によって「八王子線」と名づけられました。
 八王子線の東側、すなわち関東平野の西縁部には11の丘陵が南北に並んでいます。その形態には二つのタイプがあります。一つは山地から半島状に張り出したもの、もう一つは平野のなかに取り残された(残丘状)ものです。丘陵の形態の違いや構成する地層の違いから南と北の二つの丘陵群にまとめることができます。
 南の丘陵群の高度は、一般に北のものより高く、狭山丘陵をのぞいて平野の方向に張り出しています。それに対して北の丘陵群は高度が低く、半島状のもののほか、残丘状のものも多くなっています。

 北の丘陵群  1児玉丘陵  2松久丘陵  3比企丘陵  4岩殿丘陵
 南の丘陵群  5毛呂山丘陵  6高麗丘陵  7加治丘陵  8狭山丘陵
          9草花丘陵  10加住丘陵  11多摩丘陵


 今回の地学ハイキングの案内者の関東平野西縁丘陵団体研究グループが、関東平野発生期から発展期にかけての構造運動の解析(断層・隆起過程)や古環境の復元をめざして、この地域の調査・研究をすすめられているそうです。その研究ポイントはつぎの3点だそうです。
1 関東平野はいつ、どのようにしてできたのかを明らかにする
 堆積年代はいつか。できはじめのころの地層の特徴には何があるか
 不整合の意味(高角不整合)、断層、礫層(角礫層と円礫層)の由来。
2 関東平野をつくる地層や化石から当時の古環境を明らかにする
 方法 化石(植物、花粉、珪藻、生痕、昆虫などの研究グループが活動中)
 古地理図をつくる
3 地下構造を明らかにする
 重力解析、微小地震の解析、断層解析など。

 関東平野に見られる現象と歴史的背景を正しく理解することが、日本全国のみならず、 世界につながる共通性をもっていると考えられるからだそうです。


K 平野のできはじめのころの地層と地質現象が見られる丘陵

 一般に、山地には古くて硬い地層や岩石が分布し、平野には新しくて軟らかい地層が分布しています。丘陵部には、平野のできはじめのころの地層が分布しています。また、平野がどのようにできたのかを教えてくれる地質現象(断層や不整合)も見ることができます。
 毛呂山丘陵と宿谷川も、山地をつくる古くて硬い地層・岩石と、平野をつくる新しい地層(飯能礫層)の両方を一日で観察できるとともに、平野のでき始めのころの様子を知る手がかりとなる地質現象が観察できました。

観察ポイントは次の5つです。この下の「進む」のボタンをクリックすると、詳しい説明が出ています。

1 宿谷川の大露頭で地層観察
2 基盤と飯能礫層の関係
3 ガラス質火山灰の観察
4 生痕化石の観察
5 火山灰の追跡




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