HURRY GO ROUND




 HURRY GO ROUNDは、hideのバンド名である「Spread bevere」にすごい密接な関係がある。
 まず、HURRY GO ROUNDはどうか。これを「急がば回れ」 (Go around, if you hurry) の意味だと考えると、「Roundabout」と連想する。
 その、「Roundabout」はどういう意味かというと、道・方法などが遠回りの,回り道の;〈言葉などが〉間接の,遠回しの,回りくどいとなり、メリーゴーラウンドの事でもあるのだ。
 また、それは間接的方法という意味なのだから、「secondhand」(間接の、また聞きの)のことだ。
 だから、「ヘンな手を使ったり、危険なことをして、バカな事をするより、まともな方法(まともな事)を使ってやった方がいいよ。」というhideの願いみたいなものを感じさせる曲だ。と思った。

 さて、この曲は、Ja,Zooページに「hideの「遺書」のように聞こえてきて」と書いてあったが、独自の調査の結果、それだけではない事が判ってきた。
 それは、「Spread bevere」は、「局部全開」っていう意味だよね。だからhideは満開の局部を連想して作ったことは確かだ。だからちょっとHな局である。あっ、間違えた。曲である。
 「満開」っていうのは、開花するってことなんだけど別の言い方をすればそれは「絶頂」、つまり「精華」なんです。それがピンクなんです。
 いまいち意味が分からんだろうが、簡単にいうと「満開」「絶頂」「精華」「ピンク」は、「flower」という言葉ですべて片付けられるのだ。

 また、これは「」や「」に例えられた者たちに、群がる「」をイメージして作った曲だろう。
 このもクセものなんだ。このをhideの好きなコンピュータに連想するなら、出てくる言葉は「bug」(バグ)だ。
 このバグもいろいろな意味がある。夢中になる。盗聴する(タッピング)。精神異常。秘密情報。悩ます。飛び出る(仰天する)。そして、急いで去ること(ずらかる)。
 当時花だった局部と関連があるのでは? と疑いたくなるような、みごとなフィット。
 最後に「急いで去ること」と書いたが、これも関連があるのだ。それは「」である(ちなみに「」は、「チョウ」とも読む)。ツタは「ivy; a vine, a creeper」のことである。その中の「a vine」を見てみよう。この字に諺がある。
 それは、「wither on the vine」(未完に終わる)である。成さないままで終わってしまうという意味なのだが、「Hも出来ないままで死んで行くのか」という童貞に捧げられた曲でもあるような気がする。
 「a creeper」は、「はう」とか「這い」とかの物や動物の事だ。「クモ」である。そして、「はいはい」の赤ちゃんである。そして、「ハイ」という高揚感も関連させていると思う。もちろん「やあ」の「ハイ」もだ! 

 だから、この曲は性交(成功)しないで終わるんじゃないか?という奴に書かれた物であることが判明した。そして、これは実はアルバム「Ja,Zoo」のほとんどの曲に入っている「自殺」するだろうなソングなのだ。言っとくけど僕は自殺はしません。まだ死ねない。

 あと、曲の全体の感じがメリーゴーラウンドのようにぐるぐる「廻れ」とか言っているところをみると、私は「輪廻」を想像してしまう。「輪廻」とは仏教語で、「車輪が回転してきわまりないように、生きとしいけるものが生死を繰り返して永久に苦しむこと」また「同じ事の繰り返し」、「どうどうめぐり」のことであり(インドでは霊魂は不滅であり生まれ変わることの意味)、また、「執念深く、未練がましい」という意味もある。
 従わない者に対してはアノ業界もしつこいからね(笑)。
 そして、洪水とか砂嵐とかを連想するような破壊から再生へ、再生から絶頂へそして衰退と破壊をイメージされているんじゃないかな。

 他に「go round」を調べてみると、「うわさが広まる(早く知って欲しい)」、「巡回する」、「すべてに行き渡る」、「人と付き合う」、「車輪などが回転する」と言う意味もある。
 「うわさが広まる(早く知って欲しい)」。これは「Spread」。「巡回する」はいまいましい車(バグ)などが行ったり来たりしている様。「すべてに行き渡る」はこれもまたスプレッドと三途の河のイメージ。「人と付き合う」これは孤独な奴へ。「車輪などが回転する」輪廻つまりカルマという関連もできる。

 最後にこの曲は性交によっての精子の流れや処女喪失。胎児から出産のようなプロセスも盛り込んでいると思われる。

 では、詩を解説していこう。

狂い咲く季節が止めど無く溢れる
 ここは、返り咲きなのか、変わった花なのかそれが絶え間なく点在する。もしくは落ちぶれる。溢れ出る。それか法を外れてのさばり出る(無法なふるまいをする)。
 そして、女性器をイメージされられる。
また いつかと同じ繰り返す戯れ
 この「また」が股と関連させているのか、いつかと同じ繰り返される遊び半分のセックス。
いつかと同じふざけた言動。

蔦の葉密やかに根を広げた頃に目に映る景色は音も無く過ぎ去る
 これはたぶん、チョウが羽の秘密の根本が分かる頃にはもう景色も音も消えているだろう。なのか。
 車がブウブウいって去っていく光景を描写したのか?
 とにかく、チョウとハを重ねてある。

何処か 彼方を目指し 過ぎた記憶 足蹴に
 これは何処に行くのか知れないけれど、過ぎ去った記憶にひどい事をし・・・
 またこれは、何処かゴールを目指しという意味になり、サッカー的な解釈も出来る。
 それか、アクセル全開にキックするのか。
悲しい訳じゃなく
でも 嬉しくもない


束の間に意味など知り得る術も無く
 ここら辺は分かるだろうけど、一瞬では深い意味は分からず
ただ 鮮やかさだけ昨日に駆け抜けた
 この「鮮やかさ」というのは「新鮮さ」とか「生々しさ」という意味である(英語で)。Kの文書にもそういう事が書かれてあった(アポクリファ)。

まるで 回るMerry-go-round 痛み忘れ巡り行く
 「円(○)で」とかも考えられる、メリーゴーラウンドは馬の遊ぶ物。屈辱も忘れたころにまたやってくる。
まだ たどり着く場所見当たらず進む


ただ 例えれば
実る果実の 芳しく眩い香りも

 ここで考えれるのは、果物のレモンや蜜柑(みかん)、ミカン、未完。せいこうすることなく。
ひとつ 季節彩り
 ひとつはもちろん「1」に関連させているだろう。意味は1シーズン染めて
そっと 枯れ落ちたとて
 静かに死んでもだけど、音だけ聞くなら「彼、落ちたとて」に聞こえなくもない。

蔦は絡まり 身は朽ち果てて
 これもチョウに代えるとピンクスパイダーのシングルの中に入っていたカードのようだ。
思い出の欠片 土に帰り
また 花となるでしょう

 今度の「また」は次の「花」との関連性で、「股」と考えられる。そして、「全盛期になるでしょう」の意味でもある。
Like a merry-go-round & round
また 春に会いましょう
 「春」は英語で「スプリング」。「スプリング」は「ジャンプする」の意味にもなるのでロケット・ダイブにも関連がある。裏の意味は「飛んで会いましょう」


あの日見えなかった 愛でるべき花たち
今 日だまりの中 首かしげ

 「日だまり」は英語で「Suntrap」。字を分割すれば「sun」、「trap」。「trap」は意味がたくさんあって「わな、閉じ込められた状態、巡査(探偵)、監視所など」。それが疑わしいと首をかしげながら
それでもやさしく 微笑んでいる

まわる まわる
 これも英語にすると適切な言葉は「スピン」。「スピン」は「The top is spinning」(独楽が回っている)の「スピン」だ。そしてこの「スピン」は「クモが糸を吐く」という意味でもあり、やはりピンク〜と関連していよう。
こま切れの記憶の奥で 瞬く
 ここで敢えて「こま」とひらがなにしてあると思う。これが「小間」なら「狭い部屋の切れた記憶の奥で、点滅する」、もしくは「ほんの少しの時間、切れ残った記憶の奥で点滅している涙も雨も・・・」
涙も雨も 砂に呑み込まれて
 まあ、ここはイマイチ分からないけれど、砂はテレビの砂嵐かも知れないし、砂漠の事かもしれない。砂漠は「悪魔」のことだそうだ。また、「砂にする」で“無駄にする、役に立たなくする、金にならない”という意味で、「涙も雨も」、この雨も他の意味で考えるなら「花札の一一月の札」だそうなので、総合的に考えてみると「ほんの少しの時間、切れ残った記憶の奥で点滅している涙も11月の花札も無駄に理解されて」か、「狭い部屋の途切れ途切れの記憶の奥(心の奥)で、点滅する涙も11月の花札もお金にもならず分かられ食い物にされる」とか・・・。

急ぎ 廻れ 砕けても
 急いで輪廻しなさい。飛び降りて死んでも。
果敢無く散るが故にも
 果敢無く散るために、か、散るのであるが。っということなんだろうけど、この「果敢無く」って字だけで読めば「書かなく」とも読めないか? 
今を待たずに
まわれ Hurry merry-go-round
生き溺れても
 この「生き溺れ」というのは辞書には載ってなく、理解に苦しんだが、英語で分けて考えてみると、「 life or death (fate)」(セイシ)、または新鮮で溺れるなら、もしくは新鮮中毒(溺れる)なら。に考えられる。
また 春に会いましょう
春に会いましょう
春に会いましょう

 春は音読みで「シュン」。「シュン」は「今、旬のアナ」のように「旬」など、「イキな頃」という意味にもならないか?


 こうやって改めて研究してみると、遺書(意志=Will)というより、誰かに向けられた追悼歌のように聞こえなくもない。



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