ウンミの部屋を借りる
春学期が終わって、夏学期も語学院に通うことにした。夏学期が始まる前に、とにかく部屋を探さなければならないと思った。 夏学期が終わる、9月までの部屋を借りられればよかった。夏が終わったら帰国しなければならない。 探そうと思い始めていた頃、たまたま大学の勉強室の入口にある掲示板で、一緒にいた友達が「お部屋貸します」の張り紙を見つけた。見ると、ここの大学の 女の子が、学校の近所にワンルームを借りているけれど、夏休みで田舎に帰る間、部屋を貸したい、ということだった。彼女の夏休みが終わるころ、 私も帰国する時期になる。これはちょうどいいかも、と早速電話をしてみる。いきなり片言な韓国語でお願いしても、向こうも不安だろうから、少ししゃべってから 友達に代わってもらう。一度会って、部屋を見せてもらうことになった。
約束して、見に行った部屋は、6畳ほどの部屋に、台所、トイレ、シャワーもついたワンルームだった。しかも、住んでいた鳩小屋からものの1分もかからない ところだったのだ。学校の行き帰り通っていた、坂を登りきったその角にあるマンションの一階だった。 ウンミという、南部地方の大学から3年生に編入してきたばかりのその女の子は、もうすぐ実家に帰り、夏休みぎりぎりの8月末までの2ヶ月ちょっと、 部屋を貸してくれるという。友達も一緒に来てくれたし、私たちが女同士だったこともあって、ウンミは私に快く部屋を貸してくれることになった。 居抜きなので、もちろん電気釜もコンロも冷蔵庫も洗濯機も、机やなべ、食器類にいたるまで、全て使っていい、ということだった。何も持っていない私には、 本当に願ったりかなったりの、幸運な掘り出し物だ。 まだ20才そこそこのウンミは、ものすごく明るくてさっぱりした性格で、すぐに打ち解けた。めちゃめちゃ早口で超おしゃべりな彼女は、しっかり者だ。 次の日、一応契約はきちんとしておきたい、と自分で打った契約書と領収書を持ってきて、私と、友達も保証人になってもらってサインをした。家賃は少しまけて もらって、それでもただで空けておくよりウンミもずっとよかったと、喜んでいる。私もいい部屋を見つけて、いい友達もできたのはとても嬉しかった。
ウンミとは、部屋を借りる前に、一緒にナクチポック(タコの辛炒め)を食べに行った。もしかしたら、ウンミが夏休みが終わって戻ってくる前に私が帰国している こともありえる、もう会えないかもしれない、という可能性もあったので、何度か一緒に食べに出かけた。 あのアイスベリーという、パッピンス(かき氷)の有名なお店に連れて行ってくれたのも、ウンミだ。 韓国の夏の風物詩でもあるピンスは、女の子でなくても夏は欠かせないデザートで、どの喫茶店やファーストフードに行ってもあるけれど、アイスベリーでなけれ ばならない理由!があるのだ。2、3人前を頼むと、特大の器に氷、フルーツ、アイスクリームがごってりと盛られてくるのである。 みんなで一つの器のかき氷をつついて食べるのだけれど、大きいからやっぱりすごく嬉しい。こんなに食べれるんだ!!と思うとたまらなく嬉しい。 女の子ならきっと理解できる幸福感。初めてウンミと食べたピンスは、タルギピンス(苺のかき氷)だった。こうやって食べるのよ!と苺とアイスクリームと 氷をビビンバのように全部一度にぐしゃぐしゃと、ウンミはかき混ぜてくれた。その2人で食べた特大のピンスは夢のようにおいしかったのだ。 後でヘウンお薦めの、アップクジョンの素敵なカフェで食べた抹茶ピンスは、お値段もそれなりに高くて、またすごく上品な美味しさがあって忘れがたいが、 私はその夏、何度も何度もいろんな人と一緒にアイスベリーに通った。でも、苺のピンスを食べられたのは、最初の1度だけだった。もう苺の季節はおわり、 スイカのピンスの季節になっていたのだった。スイカのピンスは水っぽくて、苺にはかなわなかった。 それにしても、私はその夏、何度ピンスを食べに行っただろう? それで今でも、ウンミと会うたびに、ピンスを食べたくなる。 男の子同士だけでも大皿をつつきながら食べている風景をよく見かけた。でも断然アイスベリーは女の子の城だ。
ウンミの部屋の大家さんは、地下1階に住んでいる、おじいさんとおばあさんだ。地下、といっても、急な坂に沿って建っているので、ちゃんと窓もあって、 1階なんだか地下なんだか、どこが2階なんだかよくわからない作りである。おじいさんにも顔だけ見せて、ウンミも、2ヶ月だけ日本人の友達に貸すので、 よろしくお願いします、と伝えてくれた。毎月電気量の集金は、おじいさんがしにくるというので、言葉がちゃんとわかるか不安ではあった。
引っ越しの前の晩、ウンミの部屋に少し荷物を運んだ。ウンミが地方に朝早く帰り、私も早朝、一人で紙袋や、スーツケース、布団を運び始めた。 3階から階段を上り下りしていたら、2階の大家のおばさんが「手伝うわよ」と一緒に運んでくれた。階段を下りれば、100Mくらいしかないすごく近い距離で、 あっという間に荷物は運び出した。全部片付け終わって、おばさんに挨拶を言いに行くと、なんか情が移ったねえ、と涙ぐまれた。最初の頃は、結婚式だ、 なんだとあるたびに、おみやげのお餅やお菓子をよくわけに来てくれた。その時も、娘さんが働いている工場で作った泥パックと石鹸を持たせてくれた。 そして、「私たちも引っ越すんだよ」という。よ、よかった。それ知らずに部屋探さずにいたら大変なことだった。
鳩小屋にはもう住めないけれど、ホントにいろんなことがあった部屋だった。ドタバタと濃い生活だった。いろんな意味で忘れがたいのだ。 ウンミの部屋に入って、もうゴキブリの心配もアリの心配もなくなって、心底ほっとして、最後の夏学期の3ヶ月、ようやく落ち着いて生活できそう、と思った。
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