2004年10月3日付の佐賀新聞に掲載された全文です。



芸術<しごと>ひたすらに

 ジャズの巨人、ソニー・ロリンズが名盤「サキソフォーン・コロッサス」を出したのは二十代半ば。この年で「偉大な人(コロッサス)」と名乗るのは、よほど自信があったのだろう。中学生の頃、初めて自分の小遣いでロリンズのレコードを買った高野正幹さんは四十代半ば、2001年に初のリーダーアルバム「STAR-CROSSED LOVERS」をリリースした。
 決して早咲きではない。ジャズ以外にも矢沢永吉や吉田拓郎、桑田バンドのツアーに参加したり、演歌歌手のバックを務めたこともある。しかし、この会心のアルバムを聴けば、高野さんがスウィング時代に始まる最も正統的なジャズを一筋に追求してきたことがよく分かる。

3人の兄の影響

 アルバムは、デューク・エリントンと彼の片腕だったアレンジャーでピアニストのビリー・ストレイホーンにささげている。高野さんの骨太で豪快なサックスの音色は、ジャズ最盛期の歌心あふれるメロディーを心地よく聴かせる。
 高野さんは男4人兄弟の末っ子で、3人の兄が洋楽好きだったため、幼稚園のころからフランク・シナトラやベニー・グッドマンを聞いて育ったという。城東中、佐賀東高のブラスバンドでサックスを担当。卒業後、愛知学院大でスインギング・オールスターズに入団。学生オケでは物足りず、アルトの森剣治さんに師事。スリーブラインドマイス・レーベルにレコ−ド2枚を残している。79年に上京し、クラシックの富岡和夫さんに師事した。
「自分のテクニックに限界を感じて、基本からたたき直そうと思った。耳で聴くタイプだから、2回聴けば覚えてしまう。しかし、理論やテクニックをきちんと身につけないと先に進めない」
 81年から3年間、宮間利之とニューハードに在団。90年からドラムの猪俣猛さんと共演。98年と2000年の2回、猪俣カルテットのサックス奏者として豪華客船「飛鳥」のワールドツアーに参加。メキシコでの公演は絶賛を浴びた。

地方育ちだからこそ

 アルバムリリース後は、北海道から鹿児島まで全国のライブハウスでゲスト演奏したり、若手の指導に忙しい。9月には、鹿児島でテディ金城カルテットに迎えられ、母校佐賀東高のブラスバンドの指導も頼まれた。10月10日には佐賀市のエスプラッツで青木弘武さん(ピアノ)との双頭バンド、イースト・クエスト・カルテットのコンサートを行う。
 「佐賀で生まれたことを感謝している。地方で育ったからこそ、本質的な物を見失わずにすんだ。雑音を気にせずアート・ペッパーやジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズから本当の音楽を学べた気がする」
 高野さんは最近、ロン・カ−ターと共演している山口武さん(ギター)や、福岡市在住でニューヨークでの評価が高い田口悌治さん(ギター)らと共演。海外アーティストとも接触が増えた。
 「できればニューヨークで日本的なジャズをやりたい。黒人と同じ感性はないから、日本人のメンタリティー、叙情性で勝負したい。チェリストのヨーヨー・マがクラシックの垣根を越えて活動しているように、日本人のジャズがあってもいいと思う」
 高野さんは「コロッサス」への道のりを着々と歩んでいる。


実際の記事の写真は、画像アルバムのコーナーで。

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