感情1
 喜怒哀楽は人間においては必須の感情である。人が人とコミュニケーションしていく上でそれらは分かりやすい
バロメーターとして作用する。人付き合いが下手な人っているだろうけど、それは感情を表すのが下手ってことなの
かも。最近は付き合いが下手な若者が増えているみたいだね。「引きこもり」とか社会問題になっているもの。とあ
る漫画で、引きこもりの人は世の中すべての人・物に「片思い」しているって書いてた。ふられるのが恐いから、
自ら道を閉ざし、心を閉ざし、人付き合いを拒むってこと。僕はそんな軟弱な思考回路は大嫌いだ。「引きこもり」で
パソコンの掲示板に書き込みしまくる奴なんてもっと許せない。物理的に「引きこもって」いるのに、パソコンという
媒体を通して間接的に他者と接しようとしたり、または自己表現をしようとするなんてねぇ。結局ふられるのが恐い
んじゃん。せこい手段だよ。ネットの掲示板なんて顔が見えないことをいいことに言いたい放題だもんね。某掲示板
(ヒッキー出現率が多いと言われている)を見たら、みんな偉そうに発言しているよ。実際に顔を合わせて討論させ
たらどうなるんだろう。人とのコミュニケーションってやっぱり、面と向かって相手の目をしっかり見て(僕は目を見て
話すのは苦手だけど)、語り合うってことなのでは? 最近学校でディスカッション(要は討論)の授業が多いから
なおさらそう実感します。

 最近新聞で、引きこもりの息子を父が殺すという事件を見た。どうなんだろう? その息子は10年以上引きこもって
いたそうだ。家のものを壊すから腹が立って殺したそうな。引きこもりの子の両親だったらどうするだろう? 無理に
社会復帰させようとしても逆効果なのかなぁ。でも10年も引きこもらせる両親も問題だ。実家に引きこもるってことは
その息子を両親が養っているってことでしょ? おこがましいかもしれないが、「両親が心を鬼にして息子への、
生きるために必要なものの供給(食糧・衣料・風呂など)をストップする。」ってのはダメかな。ネットヒッキーなら
「ネット回線を切断する」とか。これっていわゆるショック療法なんだろうね。こんぐらい徹底してやらな引きこもりは
直らないと思うのだが。僕は甘えている奴が嫌いなんだ。引きこもりたいなら自分ひとりの力で引きこもってみろ!
両親や他人に迷惑をかけるなら引きこもるな! 社会に出るのが恐いなら誰にも迷惑をかけない方法で死ね!
って思う僕はブラックリストに載ってしまうのかしら? けど世の中なめてんじゃねぇぞ!!

 別にここで「引きこもり」について書くつもりではなかったのだが・・・ 閑話休題、ここで本線に合流します。

 喜怒哀楽の中で「喜」と「楽」は絶対的に必要な感情だと思う。「人生楽しんでなんぼ」ですわ。僕はお笑いが好き
なの実は。漫才とかコントを見てくすりともしない人間にはなりたくないな。面白いものは素直に面白いと言える人で
ありたい。逆にどんなに辛く苦しいときも明るく振舞える人でありたい。僕は人生楽観主義だ。友達にもよく言われる
。思えば高校時代からそう言われてきたわけだから、かれこれ五年くらいは楽観主義的アイデンティティを維持して
ます。では中学時代それ以前はどうだったのかと言われれば・・・・ ここで参考になるエピソードを一つ。

 「息子さんあまり笑いませんね。」−これは中学一年の個人面談で母が言われたことだ。そうです、中学の僕はこ
んな奴だったの、えへっ。でも実は裏話があって、この担任の先生はいわゆる「面白い先生」で通っていて、話の中
ではいつも笑いを取る先生だった。けどなんか僕には「全然面白くない先生」だった。一般的中学一年にしてみれば
「おもしろいやん!」と思う程度なんだろうけど、僕には全く分からなかった。で席が一番前だったんだけど、この担
が笑い話をしてもくすりともしてやらなかった。今思えば嫌な生徒だね〜 今の僕なら、心の底では小ばかにしつつ
も外面は笑ってあげていることだろう。それって「愛想笑い」?? 生きていく上では必要なことさ。
 中学くらいなら、担任が笑い話をしたら笑ってあげるのがベストだろうね。まだあの頃の僕にはそんな分別が備わ
ってなかったのさ。
 なんか中学、高校、大学と全く性格が変わっているかもしれない。楽観主義的アイデンティティができたのは高校
からだけど、まだ高校の頃は協調性が欠けていたかな。格好つけてたんだね。今では考えられないが、席が隣の
と話そうともしなかったね。「おまえ協調性ないなぁ」と親友に言われたこともあるさ。けど今ではその親友より僕の
方が協調性あるもん。

 けど未だに個人主義な所もあるねぇ。いやむしろ大学になってから個人主義的アイデンティティが突出してきたと
うべきかしら。よく飲み会とかで「おまえは個人主義やなぁ」とダメだしされることが多々あったぜい。でもそれは悩む
べきことでもないし、改善するのは気分次第という単純な軽い問題だからどうでもいいのさ。
あぁ話の収拾がつかない〜

 ここでこれまで述べてきたことを覆す発言をさせてください。今でも僕は「ポーカーフェイスのミッキー」と呼ばれて
いることに気付いた。「あんまり感情を表に出さないね」とか「何考えているかよく分からない」とか言われてるじゃん
(笑) 昔お付き合いしていた人にも言われたような。 なーんや、変わってないじゃん! 駄文長文でした。

 いやいやいや、何か違うて! 結局だねぇ、今でも感情は乏しいけど、個人主義だけど、楽観主義なのは事実だ
、今の自分が好きなんだからそれでいいんじゃないの? 世の中のすべての人間に「今の自分が好きですか?」と
答えたら何パーセントの人が、「はい」と答えれるだろう? 僕の周りを見てみると、たいていの人は、どっちかという
と好きかなぁとか曖昧な答えしか期待できないっぽい。僕ははっきりと「好きです、誰よりも、何よりも、ごめんなさい
!神様よりも!!!」と答えれるよん。それって素晴らしいことじゃない? ラヴィアンローズじゃない? 天晴れじゃ
ない? 御堂筋パレードじゃない?

 ここで誤解がないように言っておくと、僕はナルシストではない。こんな欠点と言える面もたくさんある僕だけど、そ
んなダメな所もすべてひっくるめた上で自分が好きってこと。要は欠点も愛してやろうってこと。僕の言うナルシストっ
てのは「鏡を見て髪を調整し、『いけてるじゃん』と思う」人のことさ。お分かり?

 なんか最初に「感情」ってテーマを考えて書こうとしたことは全然書けなかった。見切り発車もいいとこだよ。とりあ
えず長くなりすぎたので、また別に書きます。本当に書きたかったことは「僕に『怒』という感情はない。」ってことな
のだ。やれやれ。