MY HOME TOWN YOKOHAMA
〜横浜へのこだわり〜
担当:大橋慎太郎
 小田和正は横浜市金沢区の出身で、18才で東北大学へ進学するまで横浜に住み、横浜の学校に通っていた。また彼が通っていた横浜・聖光学院の音楽仲間によって、オフコース(当時はジ・オフコース)は結成された。
 このように横浜に縁が深く、ファーストアルバム「僕の贈りもの」(1973)をはじめ、いくつかのレコードジャケットやビデオクリップに横浜の風景を取り入れてきたオフコースも、横浜をテーマにした曲は「港の見える丘公園」を舞台とした代表曲「秋の気配」(1977)のみであった。ライブ活動も、ごく初期を除き横浜中心の活動とはいえなかった。

 彼が横浜へのこだわりを見せるようになるのは、オフコース解散後からである。
 解散後、初のソロアルバム「Far East Cafe」(1990)に収録された「16号を下って」は、横浜中心部から故郷・金沢文庫を経て三浦半島へ向かう国道16号線をモチーフにしたバラードである。そして1992年、「MY HOME TOWN」と冠したライブを横浜スタジアムで行った。この日のために書き下ろされた楽曲「my home town」は、昔の横浜での思い出と、変わりゆく故郷を歌ったバラードである。そして翌年、この曲をタイトルチューンにしたアルバム「MY HOME TOWN」を発売するが、このジャケットは母校・聖光学院の最寄り駅・JR山手駅で撮影された。
 この後も彼と横浜との繋がりは続く。1996年、オフコース時代のセルフカバーアルバム「LOOKING BACK」がリリースされたが、「秋の気配」も収録されたこのアルバムのキャッチコピーは「これぞヨコハマサウンド」、またこのアルバムに連動して、彼の横浜でのお勧めポイントを紹介した「YOKOHAMA MAP」が製作された。また彼の第二回監督作品の映画「緑の街」(1997年)では、横浜でのロケがふんだんに盛り込まれた。
 そして2000年12月31日、彼にとって初のカウントダウンライブ「ちょっと寒いけどみんなでsame moon!!」は、彼の故郷・金沢文庫を目の前にした八景島シーパラダイスで行われた。また翌2001年発売のアルバム「LOOKING BACK 2」の企画として行われた「トーク&ライブ」も、横浜で開催された。彼の横浜へのこだわりが垣間見られる一面である。
横浜・小田和正ゆかりの地 写真散歩
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