子供は授かりものなのか
1999年2月8日付け読売新聞で以下のような記事が載っていた。
抜粋すると
他人から卵子を受けっとっての体外受精で初めて肉親以外から、提供を受け受精する
これまでは、肉親しか認められていなかった卵子提供を信頼できる友人から受けたそうだ。
しかし、この行動は学会からは、倫理や法律等の視点から問題とされた。
この夫婦は子供が欲しかったんだと思う。
しかし、できなかった。
それならばと体外受精の道を選んだ。が、血縁者からは断られ、そして、信頼のできる友達に提供を願い、その友達はそれに答えた。
よく、
「子供はさずかりもの」
だとか
「子供がいない、二人だけの生活も気楽でいいよ」
こんな言葉もきっと彼らの周りで言われただろう。
しかし、これは他人の意見にすぎない。そして、無責任な言葉。
そしてこの言葉も当然言われただろう。
「子供はいつなの?」「子供はまだなの?」
こんななかで、周りからのプレッシャーはかなりのものだっただろう。
遺伝子的には「友達」と「夫」の子供。
子供が成長していくにつれ、彼女の面影を見てしまうかもしれない。
それでも、それを選んだ。
法的にもまだあいまいな点が多いという。
提供者の親権問題。これは絶対にあってはならないものだと思う。
そして、倫理的な問題。
日本の社会では、常にノーマルでいなければならない。
しっかりと籍を入れ、披露宴を行い、子供を持ち・・・
社会の目を気にしてまわりと変わらずに生きていかなければならないプレッシャー。
そういったことを気にせず、生きられる社会だといいのだが。
そうすれば、彼女の選択もひょっとしたら変わっていたかもしれない。
女性は子供がおなかの中にいることで、ホルモンが分泌され母性に目覚めるという。
いい親子になってほしい。
以前子供を産んだ私の友達は
子供が生まれたではなく生んだと言っていた。
母親にはなるものだ。自分の意思で。
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