産業改革は続いて行く


「産業改革」ということば最初に使われたのは、いわゆる農家とか、林業とかの一次産業から、2次の工業や3次のサービス業に業界の大きさや、人の配分が変わって行ったことを指す(はず)。

このとき、第一次産業に就いていた人たちは、仕事にあぶれ、可能だったひとたちは第二次産業なり第三次産業に移行していった。
しかし、そののときの第一次産業に就いていた人の痛みは大きかっただろう。いままで自分がやっていたことが、まったくお金にならなくなるのだから。
それこそ「痛み」があったことだろう。

そして、現在の構造改革。ものの流通の仕組みが変わって、問屋そのものの仕組みも見直されている。直販の動き、生産を海外に求める動き。が、それに対する保護あるいは保証をする動き。将来無くなる仕事あるいは小さくなるであるう仕事にどこまでの保護が必要なのか。

私が携わっている「情報処理」と言われる職業。第三次産業に属するが、この業種する構造改革をまぬがれることはないだろう。
いつまでも、ひとつのシステムに何年もかけるようなシステムもなくなるであろし、そのシステムが使われる業務の知識が必要とされるだけで、システムを構築するための「情報システム」的な知識の必要とされる度合いは低くなるかもしれない。

いわゆる今の政治家か言っている「痛み」とは、「変わるための努力しなきゃ生きられない」っていう痛みもあると思う。


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