テロと平和と


2001年9月11に起きたアメリカの同時テロ事件。
旅客機が貿易センタービルに衝突し、そのビルは崩壊。死者と行方不明者は何千人規模になるという。

テレビをつけるとどのチャンネルも信じられない光景を写し続けていた。
徐々に明らかになる真相。目的。

平和というものがあんなにあっさりと壊されてしまうとは思わなかった。

国々の政治の駆け引きから生まれた今回の事件。
それをちゃんと語れるほど詳しくないけれど、アメリカがしていた外交の結果が今回のテロだという。
先日行われた大統領の演説では、大統領はアメリカ国民、そして、世界に対してこう呼びかけていた。
「これは正義の戦いだ。そして、すべての国は、正義の国につくか、そうでないかの選択をしなければならない。」と。

正義の戦い、聖戦。どこかの国も同じことを言っていたようだけれど。

報復戦争反対とは言えない。
結局、戦争をしても、また同じことを繰り返すだけ。
戦いは何も生み出さない、とは軽々しく言えない。

もし、自分の大切な人間が、あの飛行機に、そして、あのビルにいたと考えたのなら、そうは言えない。
政治的なことを考えるとき、この例えを出すのはよくないことなのかも知れないが。

日本の政治家のある部分は湾岸戦争時と同じ理論を繰り返すだけ。
「武力行使反対。対話路線を中心とすべきだ。自衛隊は後方支援だけにすべきだ。」

もちろん対話路線が中心なのは言うまでも無いことだ。でも、それが適わなかったとき、どうすべきなのか。
もし、日本あるいは他の国が武力の脅威にさらされたときどうするのか。

後方支援は直接、人を殺さなかった、という心の安心を得るための詭弁にしかすぎない。
それは、戦争に参加している時点で、その結果の責任も負わなければならないはずだ。
武器を運ばなかったから、食料品だけを運んだから、人を殺さなかったって言えるのか。

日本に武力行使という話題がでるといつもアジアの国では、日本に対する不信感が起こるという。
これは、日本の外交の完全な失敗なんだろう。
いまだに、日本が武力行使を侵略に使うと思われている。
アメリカ軍が日本にいることがアジア各国に対して保険になっているという事実。

まともな外交をしていない国がアメリカの外交政策に問題があったなんていうのはほんと筋違いだ。
じゃ、日本は何ができたんだろうか、何をすべきだったんだろうか。

あまりにも違う宗教倫理。
男尊女卑。宗教的な殉職の価値観の違い。
神の起源、人の起源がそんなに大事なのか。

テロを企てた人間、組織がそのことだけで裁かれるのではなくて、その起因までも明らかになるといいと思う。
そして、その不幸ができるだけ、大きくならず、繰り返されない、なんらかの回答が見つかれば、どんなにいいかと。

昔見たB級の映画は、
地球外の生物の侵略によって、全世界が国を超えて協力して、宇宙人に対抗していくというストーリーだった。
もっと大きな敵により、いままで、敵同士だった人間が協力して、共通の敵を倒す。

でも、これも結局はまた同じ問題を生み出してるに過ぎないのかな。

ジョンレノンのイマジンは、宗教も国もいらないという。
ほんとそうだ。
人間がアイデンティも持つのに、国とか宗教とか、文化が必要らしい。
だった、アイデンティもいらない。それで世界がつまらなくなっても。


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