残るもの


夕飯も食べ終わって、優が食器を洗ってる。
テレビもあんまり面白くなくて、新聞を読んでた。
地方欄に事故の記事があった。昨日の昼過ぎ、川で溺れかけた子供を助けようとして、子供を助けたものの、助けた人は死んでしまった。
その亡くなった人は、宮田という名前で、大学の時の友達の名前だった。


私が通っていた大学は家から遠くて、学校の友達と飲んだあとは友達の家に行って、次の日に学校に行くのが多かった。
よく行ったのは、宮田の家で、なんたが居心地がよかった。

飲んで、そいつのうちに行って、ブランケットにくるまって寝ながら話をしたことがあった。
そのとき付き合っていた彼女の話だったり、取り止めのない話だったり。

その日も酔っ払って帰った日だと思う。
将来のことを話していたような気がするが、ふと言い出した。
「昔、心臓の病気の疑いがあって、半年近く通院やら検査入院をしたことがあってさ。で、自分に疑いがあった病名、もうなんだか忘れたけれど、それでよく運動中に死んだとかニュースになっててさ。そんときは、怖かったよ。明日が来ない日がいつかあるかもしれない。心臓がかってに止まってしまうかもしれない。そう思う日が多くて。」
「でも、いまはぜんぜん平気なんだろ?」
「ああ、大丈夫。でも、その怖さが抜けないんだよな。なんだが、削られていく感じがしてたな。だから、その日その日を一生懸命に生きてみたりして。」
「なんだか前向きか後ろ向きだか、わかんねんなー。」
「そうだな。」

その日はそのまま寝てしまった気がする。
ひょっとしたら、ほかにも何か言っていたような気がするけれど。


社会人になった3年目に大学時代から付き合っていた彼女、優と結婚した。
結婚式には宮田も呼んだ。

結婚式の当日、会場を出て行く招待客を見送っているとき、宮田は、
「早く子供を作れよな。」そう笑顔で言っていた。


結婚する1ヶ月前、宮田の家で久々飲んだ。
家に行ったのは、大学の卒業以来だ。
学生のころの狭いアパートではなく、だいぶこざっぱりとしたマンションになっていた。

また学生のときのようにいろいろと話をした。
この日の宮田は哲学的だった。
「人間は本能的に何かを残したいんだ。」
「何かって?」
「一番は子供だな。」
「それは動物という生きているものすべての本能みたいなものだろう。」
「そう、でも人間は子供じゃなくたっていいんだ。」
「どういうこと。」
「たとえば、ミュージシャンは歌を残す。よく言うだろう。自分が作った楽曲が子供みたいだって。」
「自分が死んだ後、自分から生まれたものが残るっていうのはいいよな。」
「そうそう。俺も何かを残したいよ。誰かの記憶に残るように。死んだ後、何百年も残るとは言わないからさ。」
「だったら、まず、お前もまず、結婚しろよ。」
にやっと笑って、
「相手がいればな。」


川の名前には聞き覚えがあった。
流れは急だけれど、大人にとってはそれほど厳しい川ではなかったはずだ。
小さな子供が溺れてようだ。その子を土手に上げてから、自分も上がろうとしてそのまま滑ったらしい。それから、宮田が見つかったのは、1km以上下ったところだった。


あの時、あいつの「削られた感じ」はまだ癒されていなかっただろう。
ひょっとしたら、病気も完治していなかったのか。


子供を助けあげたとき、宮田は子供を救った。それはきっと子供のまわりに強い記憶として残るだろう。あいつは、ふと、それで満足してしまったんだろうか。

残ることがわかったから。

「でも、お前が残したかったことって違うものじゃないのか。」


台所から優が戻ってきた。
「どうしたの?」
「いや、友達の名前があってさ。それより、なんかあった?うれしそうだね。」
にこにこしながら、
「検査薬試したんだ。そしたら、陽性だったんだよ。」
「えっ、それって。」
「きっと、そう。明日、いっしょに病院に行ってみようよ。」
「ああ、いいよ、いいよ。」
と、微笑む。

「あれっ、あなたどうしたの?」
「ん?」
「涙が出てるよ。」


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