日曜地学ハイキング記録


冬枯れの高麗の里
山地と平野の境を歩き、関東平野のはじまりをみる




第335回日曜地学ハイキングを西暦2000年1月16日に実施しました。

関東平野のはじまり(仮説)

1期
 今から200万年前、現在の山地と平野の境にあたる所に陥没がおこり、山地をつくる岩石(チャート・砂岩など)からなる急崖ができた。
2期
 この崖から角ばったチャートや砂岩のれきが次々とくずれ落ちてきた。
3期
 浅い沼のようなとこうに砂やシルト(泥)が堆積していきました。このときに樹木の破片も一緒に埋もれた。
4期
 秩父山地が激しく隆起した。山地をつくる秩父中・古生層のチャートや砂岩のれきが大量に運ばれてきて、山麓扇状地にれき層を堆積していった。
5期
 山地はますます高くなり、平野は沈降して山地と平野の境には断層帯が形成された。

「埼玉の自然をたずねて」(築地書館)より


今回の見学コースの概要は次の通りです.

日時:1月16曰(日) 10:00  
集合:西武池袋線「高麗」駅前   解散:「飯能」駅 16:30頃
みどころ @巾着田、高麗川の川原で礫調査
      A山地と平野の境の地形の観察
      B山地と丘陵の地質と分布のようす
コース:高麗駅→巾着田→あいあい橋→高麗峠→天覧山→市民会館脇の沢→飯能駅
主 催:地学団体研究会埼玉支部、日曜地学の会
案 内:久津間文隆(浦和西高校)倉川博(飯能高校)
          関東平野西縁丘陵団体研究グループ
地形図 国土地理院1/25,000「飯能」
持ち物:弁当、水筒、雨具、長靴、ハンマー、筆記用具、定規、新聞紙
参加費:200円(保険代・資料代・豚汁諸経費)


見学ポイントの案内

第1ポイント 巾着田西(地図の@)

 高麗駅から高麗川へと下っていき、巾着田に向かう。
 途中で地形を観察する。北方左手のこんもりしたのが日和田山、右手のなだらかなのが高麗丘陵で、日和田山は急傾斜である。

 鹿台橋をわたり右にまがる。高麗川はここでは大きく蛇行して、その形が巾着のようなことから巾着田とよばれている所に出た。

 対岸の崖は、川の流れの攻撃斜面にあたり、目の前に大きく立ちはだかっている。崖には丘陵をつくる地層がみられた。水面近くには青灰色のすべすべしたシルト層、その上にうす茶色の砂層が重なり、さらにゴツゴツした感じになっている厚いれき層があった。


 参加者は1班10名程、6班に分かれ、れき調査を行った。はじめに礫を採取する位置に長さ5mのひもを張り、ひもにかかった直径5cm以上の石にチョークで印を付けた。印のついた石を拾い上げ新聞紙の上に集めた。全員で観察し種類ごとに分ける。各班は、その結果を報告し、全体の集計を行った。下記はその様子である。

 れきの種類はほとんどチャートと砂岩で秩父山地をつくる岩石とのことである。やや角張ったもの(亜角れき〜亜円れき)が多く、あまり遠くから運ばれたのではないとの説明であった。


 調査の結果がまとまり、説明を聞き、昼食に出たとん汁に舌鼓をうちくつろぎいだ。
第2ポイント 巾着田南(地図のA)

  南に移動し、ここでも対岸の崖の地層を観察した。崖には丘陵をつくる地層の青灰色のすべすべしたシルト層や、その上のうす茶色の砂層、さらにゴツゴツした感じになっている厚いれき層を観察した。


第3ポイント 高麗峠(地図のB)

  高麗川にかかる、あいあい橋を渡り、河岸段丘の上の面の家並みのあるところに出た。しばらく、まち中を歩く、家並みのとぎれたところから、山道に入った。登りはじめはきついですが、しばらく我慢すると平坦な尾根道になった。
 山道の足下は、れきが多くみられる。このれきは、先ほど観察した丘陵をつくる礫層であるとの説明であった。れき層の上を歩いている。
  コナラを中心とした雑木林は冬には明るい山道をつくっている。低い常緑は、アオキやヒサカキとの説明で、ヤマザクラやアカマツもまじっているとのこと、武蔵野や大宮台地の雑木林と同じ景観であるそうだ。

第4ポイント 天覧山(地図のC)

 高麗丘陵を下り、途中、国道299号を横切り、天覧山への上りの道に出た。浅い谷沿いの道は、まだ緩やかであったが、多峯主山との分岐から天覧山への少し急な上りになった。
 天覧山の山頂はゴツゴツした岩石がでている。これは、埼玉県から群馬県にかけての関東山地を構成する秩父層群という1〜2億年前の地層であるとの説明であった。チャートはガラスのようなつやがあり、釘などでこすっても傷がつかない硬い石である。ハンマーでたたくと火花が散る。昔は火打ち石として使用されていたそうである。
 山頂から、飯能の市街地やその南側の加治丘陵、はるか遠くには都心の高層ビル群までみることができるそうであるが、あいにくの曇り空で天気を予報は夕方から雨、残念ながら高層ビル群は見えなかった。
 しかし、山地から半島のように東に突きだした加治丘陵の稜線が観察できる。定規で線を引いたように高さがそろっている。これは、かっては川が流れ、平らな面を作っていたことを示しているとの説明であった。説明によると、加治丘陵は飯能台地よりもさらに古い、約60万年前の段丘の名残りだそうである。
 南側の眼下には飯能市民会館がみえる。(下記の写真は数値地図より作製した想像図)


第5ポイント 市民会館脇の沢(地図のD)

 天覧山を下り、市民会館とその南側の郷土館との間の「ふるきと歩道」を歩き、小さな谷に下る坂に出た。
 谷底に降りる。谷底の崖には角張った石(角礫)を含む黒っぽいシルト層がある。
 角礫は、巾着田の崖でみたように、この付近の山の地層をつくるチャートや泥岩からできている。
 この地層は、山地と平野の境界にそって毛呂山から高麗、飯能、青梅、あきる野へと分布している、山地をつくる硬い地層の凹みを埋めている飯能れき層下部層という地層との説明であった。
 山地の地層は関東平野に入ると地下深くもぐってしまいますが、その凹みを埋めるように関東平野には厚い地層が堆積しているとのことである。飯能れき層下部層は、へこみを埋め立てた最初の地層で、200万年前のいわば関東平野のはじまりの地層だそうである。
 さらに平野側には飯能れき層下部層をおおう厚い円れき層(飯能れき層上部層)がみられるそうである。

 
関東平野西縁(せいえん=西のふち)の山地と平野の境界にある丘陵


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